兎徒然

うさぎのふきちゃんと、徒然なるままに日々を綴るブログ。

令和という時代の言葉を受け入れていく。

 「よもやよもやだ」

 先日職場で、他のスタッフの失敗をみてこう呟いた人がおりました。

 失敗の内容とか、それに対しての発言への反応はおいておいて、私はこの場面で「よもや」×2回にひっかかりを覚えました。

 いや、だってよもやなんて口語で使われてるのに遭遇したのは初めてかもしれないよ。しかも2回も言った!

 そしたらTwitterでもそう呟いてる人がいて、検索したら、やっぱり〜。流行ってるみたいですね。(鬼滅の刃の登場人物が印象的なシーンで放つセリフらしいです。読んでないからわからないけど。)なんていうか、自分の中のよもやの語感とつかわれた場面に差異が激しくて、時代から取り残されてる感がありました。(^◇^;)

   よもや、なんてきいたら品詞分解してしまうよ…。未来形打ち消し推量で使うという固定観念も違和感の要因なんだろうな。

 私はTwitterやブログをやってなかったらwwwも草が生える、も沼もわからなかったと思う。( ̄∇ ̄)

 あと、先月観光の方が多かった時、レンタル着物きて狐のお面持ってる方がちらほらいまして…、狐のお面?お面はやってるの?と微笑ましくみてましたが、これも鬼滅関連の流行だそうです。社会現象だなぁ。

 

 子どものころから、「おばあちゃんみたい」と言われてきましたが、この頃は現代語が難しい。。。

 こないだお肉屋さんで、「これは目方?」「かしわちょうだい」と80代くらいのお客さんが若い店員さんに言ってたのですが、全く話が通じていなかった。余計なお世話だろうかと思いながら「量り売りで、この値段は100グラムの値段みたいですよ〜。もも肉ですか?」と老婦人に声をかけてみた。

 そうそう、と頷くので、余計なお世話ついでに代わりに注文をして、立ち去ろうとしたら、「若い子は話が通じんからかなん」と呟いていた。

 若い店員さんが無知だと思うかというと、私はそうも思わない。まぁ、口語では使わなくても語彙が豊富な若者は知ってるだろうけど、知らない若者からすると「量り売り」と「鶏肉」という言葉に転換できない客の方が無知になるのかもしれない。老婦人の方も言葉を老いながらえた者の威厳の誇示から選択してないかといわれたら、そんな心もゼロではないのではないか。

 今の言葉も知っていかないなぁと思うのだが、すでにブログやネットニュースを読んでると、この言葉の選択…なんか変じゃない?と思ってしまう。最先端を生きてる人には私の言葉も古典なのだと言いきかせて、生きねばなぁと思う。楽に老いていきたいもんな。