兎徒然

うさぎのふきちゃんと、徒然なるままに日々を綴るブログ。

大人は自由だ。

 しばしば、子供の頃は良かったとか、学生時代に戻りたいとか、そんなセリフをきく。

 そうかなぁ、大人っていいけどな、と思う。

 やるかやらないか、自分で決められるし、住む場所も所属する場所も、自分がいいと思う場所を求める自由がある。

 小一の時の国語の授業で「好きな言葉を書いて、理由を話す」というのがあった。私は迷いなく「自由」と書いた。始まってしまった小学生という任務は不自由極まりなかったからだ。

黙読したくてもみんなと同じスピードで音読しなきゃならないし、次のページを読みたくても、勝手に教科書をめくると注意された。

 なんて不自由なんだろう。

 勉強だって自分で決めたペースでしたい。わからないところだけを教わって復習したい。知りたいことは山ほどあるが、大人はどうやら本当の世間を子供に隠しているぞ。はやくその謎を暴かないと、圧倒的に不利だ。

 大人しそうで従順そうなつきこちゃんは、実はとても可愛げのない子どもだった。つきこちゃんにとって「自由」は反骨精神の象徴だった。

 「自由とはどんな意味かわかりますか?」と先生はきいた。

 「自分の思いや考えを持つことが許されて、それを表せることだと思います。」と答えると、「自由というのは大変ですよ。」と返された。

 自由のために、本を読んだり、知らないことを知って、他の人が考えてることを知って、世の中のしくみを知って、自分で決めたことを信じることが未来であればいいな、と思った。

 その思考の過程を話さずに「自信というのも大事なのかもしれません。自由でいるには。」と言うと「そのためにたくさん勉強しましょうね。」と言われ、

 あぁ私の言いたいことは伝わらない、と途方にくれた。途方にくれながら、何も本当に好きな言葉を明かす必要はなかったのかもなぁと思えてくる。先生にきかれたからって、ちゃんと答えない「自由」だって、私は獲得していくべきだ。

 それ以来、私は「自由」であるために、本当のことはしまっておくことにした。本当のことはここぞのときにとっておくことにした。相手が欲しい答えを用意しておくのも、「自由」であるためには必要だ。

 

 ここぞ、というときに、ズバッと自分の意志を表せたとき、あぁ、大人になったものだと一瞬思う。

 あらゆることを頑張ってきた、我慢してきた過去の自分を讃えるときだ。

 

 

 

 

 

今週のお題「大人になったなと感じるとき」