映画「TOVE」の感想
仕事帰りに映画を観てきた。会期もきっと長くないし、関西でも数館での限られた放映。
時間が合って、明日は休みで、体調もまずまずな日はもうない!と、COCON烏丸の京都シネマまで歩く。コロナ禍になり、烏丸もずいぶん様子が変わった。
23歳の時は烏丸近辺で仕事をしており、仕事帰りに本屋とCD屋を梯子して、京都シネマでレイトショーを観たりした。京都シネマは、単館系のものをウリにした、小さな映画館で、大人の映画ファンが集う場だった。
COCON烏丸館内にほとんど客はおらず、これは5人くらいで観る流れかなーとおもった。
すこし早く着き、席を確保して、途中で買ったポールボキューズのパンとミニッツメイドのグレープフルーツジュースで軽い夕食をとった。(映画会場内では食事禁止、周囲に人がいなかったので、ロビーの椅子でささっとたべました)
昨年からずっと、これは観よう!と愉しみにしていた「TOVE」。開場15分前からぞくぞく人が来る。
来る人も来る人もみんな「TOVE」。
トーベとは、トーベ・ヤンソン。ムーミンシリーズを描いた人の半生を描いた映画なのだ。
私は24歳の頃、ひどい気管支炎を患って、自宅療養中にひたすらパッチワークと読書をしていた。絵を描くエネルギーもなくて、呼吸をするのがやっと…微熱が続き、ごちゃごちゃした恋愛ものやミステリーは頭が疲れてしまうので、児童文学を書店の棚から選んで買っては読んで、時々チクチク布を縫った。
その時にハマったのがムーミンシリーズで、ムーミンシリーズだけでなく、トーベの世界観にどっぷりとつかった。
トーベは今で言うとマルチクリエイターだった。多分現代に生きてたらタブローも描いてデジタルもやって、YouTubeで自作のムービーも流してしまうタイプ、Twitterでムーミン漫画を連載したら大人気だっただろうし、TikTokではダンスを披露したかもしれない。
創作意欲がほとばしり、行き場のないそれを心の中で湖のようにためてるタイプ、そんな印象を作者に抱いた。
ムーミンシリーズの珍しいところは、長い童話も精密なペン画もトーベが一人で作った本だというところ。
私はトーベの文章がまず好きになった。無駄がなく、削ぎ落とされた語りと、ぽいぽいと丸裸でなげられるセリフ。
そしてムーミンシリーズの中盤以降の挿絵のこなれ感に惚れた。もちろん最初の挿絵から可愛くて繊細で上手いんだけど「ムーミン谷の仲間たち」あたりからの線のはしりがゾクゾクするくらい良い…。
緊張感のある隙のない線と、なんでもない日常をわちゃわちゃと過ごす登場人物の心理描写が重なって、ムーミン谷がとてもリアルな、どこかにある谷に思えて、体調を心配してか逢おう!という友人の誘いを「ムーミン谷にいるので行けません」と断って没頭した。
それくらいドハマりしたのだ。当時、日本で発売されていたトーベの本は買ったり、図書館で借りたりで、全て読んだ。
どんな風にトーベが生きたのかも興味があって、彼女の生き方も作品のようだと思ったし、アーティストとしても、人生を愉しむ達人としても憧れた。
だから映画を愉しみにしていたのだ。(注・以下ネタバレあります。)
冒頭30分くらいはすっごくよかった。当時の服装や美術界の在り方などは興味深かった。
トーベは情熱的に人を愛した。スナフキンのモデルになった彼には奥さんがいた。映画内ではウィットに富んだ会話をしてトーベがサウナに誘う。
北欧では「サウナ」に誘うのか、そうか、と、なんだか妙なところで関心が湧く。そして彼と朝を迎えたトーベのところに、彼の奥さんから普通に電話が来て、普通に彼に取り次ぐ。
えっと、当時の北欧では不倫は公認なの?
文化が違いすぎてよくわからない…(*'▽'*)
そして舞台監督ヴィヴィカ・バンドラーという女性に恋をして、あっというまにトーベの心には「部屋」ができる。(部屋という言い回しを映画の中でトーベがしていた。)
男は彼ひとり、女は彼女ひとりだというトーベ。
ええ!!そういうもんなの?(^◇^;)猫とうさぎみたいな?(当時のフィンランドでは同性愛は違法)
あと、部屋を借りるときに水道がないけどいいかといわれてるし…( ・∇・)水はどうしてたんでしょ。トーベは油とインクだけでなくガッシュ(水彩)も使ってるのだが。
ヴィヴィカ役の強烈なキャラクターや、当時のファッションやインテリアにと映画として観る要素は成功している…しているがセクシャルなシーンが冗長で、なんだ、トーベを描くというよりはトーベのセクシャルな部分をとりあげた映画なのね、と思わずにいられなかった。
アーティストとして描かれたトーベの要素があまりにも少ない。
映画の中のトーベは筆をもっていても、恋人が部屋に来るとそそくさと筆をおいている。そこはちょっと違和感があった。あの絵をあんな中途半端な集中力で描けるとは思えないのだが…。
そして、映画をみてあらためて思ったのは駆け出しのトーベに大きな仕事を持ってきたのは皆、恋人たちじゃないかということ。トーベはそんなつもりではもちろんないだろうが、そう捉える人もいたに違いない。
そうやって仕事を得ることを批判するわけではない。人としての魅力も才能だ。
けれど、トーベ・ヤンソンが人嫌いでひきこもるタイプの画家だったらムーミンはひっそりと彼女の中でとどまっていたのかな、なんてことも考えてしまった。人生の波をうまく乗りこなそう!なんて魂胆はなく、人を愛し、人に愛されて押し上げられたのが芸術家トーベ・ヤンソンだったのか。
トーベはヴィヴィカ・バンドラーと恋人としては別れたあと、生涯の伴侶トゥーリッキ・ピエティラと出遭い、2人で過ごす島まで買っているのだが、そのトゥーリッキがいつでてくるのかなーとワクワクしていたら、トゥーリッキと出会ったところで映画が終わってしまった…。最後にびょんびょんと ふきちゃんみたいに飛び跳ねて踊り狂う本人映像が流れたのだが、私はずっと口を開いてみていたと思う。あまりにもあっけなく終わってしまって。
映画としては面白かった。役者たちのキャラがたっていたし、隅々まで情緒がある絵づくりだった。
が、トーベ・ヤンソンのファンとしては全く痒いところに手が届かない映画であった。
ムーミンの生みの親のトーベの映画ではなく、奔放に情熱的に人を愛したトーベの恋愛物語であった。コアなファンにはアーティストとしてのトーベの成分が足りない…ので、帰ってまた伝記本を読んでいる。
当時のフィンランドの様子がリアリティをもって脳内に浮かび上がるのが映画をみた利点か。
濃密な恋愛映画を観たい人にはおすすめ。
北欧デザインとかが好きな人にもおすすめ。
ムーミンが好きだから観たい人にはおすすめしない映画かな。
でもトーベが好きだった音楽が知ってる曲ばりで、そうか、ムーミン達もこれでダンスしてるのね、とムーミンの物語が肉付けされた。
シングシングシングとポルウナカベサが身体にまだのこっている。